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熊本地方裁判所 昭和30年(行)17号 判決

原告 花桐岩吉

被告 国

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「原告が歯科技工業として歯型の採得、義歯金冠の製作、試適及び販売行為をなし得ることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として原告は歯科医師に対して独立する歯科技工師として歯科技工業を営む者であつて、日本全国各地の同業者の団結及び自省を計り、各会員に対し免許警証を発行して来た公認日本歯科技工師会の会長である。抑々歯科技工業は明治初年以来太政官布告、内務省令等により独立の営業として歯科医師以外の者に於てこれを営むことが許され、旧商法第二百六十四条第二号現行商法第五百二条第二号に所謂「他人のためにする製造又は加工に関する行為」に該当する営業として国家乃至社会より認められて来たが、その業務の範囲については当初稍漠然たるものがあつたところ、偶々原告が歯科医師法違反罪に問擬せられて山鹿区裁判所に起訴せらるるや、同裁判所は昭和十四年六月二十八日の判決に於て歯科技工師の業務は「歯型の採得、義歯金冠の製作、試適及び販売行為」に限られ、嵌装行為は歯科医業に属する旨判示し、嵌装行為のみを処罰し、該事件は熊本地方裁判所の控訴審を経て、大審院に於て同年十一月七日同趣旨の判決があり、該判決の確定により歯科技工業の範囲は確定するに至つた。そこで原告は同月十五日全国に唱導して前記団体を結成し、会員の業務の範囲を「歯型の採得、義歯金冠の製作、試適及び販売行為」に限定指示して公然業務を開始し、爾来会員に対しては右範囲を逸脱して嵌装行為等をなさざる様警めると共に右範囲の業権を有することを保証し来り、一方全国府県警察部に照会して右営業開始につき意見を求めたが、何等の異議もなく、認められて来たものである。かくて原告等歯科技工師は数十年来独立して歯科技工業を営み、営業税を納めて公然その業務を継続して来たところ被告は昭和三十年八月十六日法律第百六十八号歯科技工法を公布し、同年十月十五日より施行するに至り、各都道府県衛生部に通牒を発し、同法を原告等独立営業として歯科技工業を営む者にも適用せんとしている。而して同法によれば歯科技工師は一定の試験に合格することを条件とし、その業務の範囲は「特定人に対する歯科医療の用に供する補てつ物、充てん物又は矯正装置の作成、修理又は加工」に限定せられ、且つ歯科医師の一定の指示書によらねばならぬことゝなつているが、元来歯科技工師と称する者の中には歯科医師に隷属してその技工に従事し、事実上歯科医師の助手又は雇人となり、独立して営業を営まず、従つて営業税も納めていない者と原告等の如く独立の営業として歯科技工に従事する者とあり、右法律は前者のみに適用せられ、後者に属する原告等独立営業者に対してはその適用なきものと解すべく、従つて原告等は同法施行後の今日に於ても歯科技工業として前記範囲の行為をなし得るものである。仮りに原告等独立営業者に対しても適用あるものとすれば、従来原告等が行つて来た業務は全面的に制限を受け国家乃至社会より公然認められて来た既得の営業権は一挙にして剥奪せられ、原告等は廃業の外なき結果に陥るので、この法律は日本国憲法第十一条第十二条第十三条第二十三条第二十五条第二十九条第三十九条に違反する無効の法律である。よつて原告は右営業権の存在及びその範囲の確認を求むるため本訴請求に及んだ旨陳述した。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として原告主張事実中原告がその主張の如き営業に従事していることその他原告の右営業に関する経緯事情は知らない。仮りに原告にその主張の如き経緯事情があつたとしても、原告主張の業務は歯科医業の範囲に属し、歯科医師に非ざる者がこれをなすことは禁止せられているから、原告はこれを営業としてなし得ないものである。よつて原告の本訴請求は失当である旨述べた。

理由

原告は従来何等の制限をも受くることなく、歯科医師に対して独立した歯科技工師として所謂歯科技工業を営み、「歯型の採得、義歯金冠の製作、試適及び販売行為」に従事して来たところ、被告は原告が従来営業として行つて来た右行為を事実上制限する歯科技工法を公布施行し、各都道府県衛生部に通牒を発して原告に対してもこれを適用せんとしているが、同法は歯科医師の助手又は雇人としてこれに隷属して歯科技工に従事する者に対してのみ適用せらるべきものであつて、独立の営業として歯科技工業を営む原告に対しては適用がなく、仮りに独立営業者たる原告に対しても適用があるものとすれば、同法は原告の既得の営業権を剥奪するもので、国民の権利を保障する日本国憲法の条章に違反する無効の法律であるから、原告の前記範囲の営業権の存在することの確認を求むる旨主張する。仍て職権を以て本訴の適否につき按ずるに、裁判所法第三条は裁判所は日本国憲法に特別の定めある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し得る旨を規定しているが、茲に所謂法律上の争訟とは法律の適用により解決せらるべき当事者間に於ける具体的な権利義務に関する紛争を意味するのであるから、斯る具体的な紛争事件がなくして、一般的抽象的に法令自体の効力乃至解釈を争い、その判断を裁判所に求むることは許されず、裁判所は斯る場合裁判権を発動し得ないものと謂はねばならぬ。

本件についてこれをみるに、歯科技工法が公布施行せられ、被告国がその施行に関して各都道府県に対し通牒を発したに止り、同法に基き原告に対し行政処分が行はれる等の措置が講ぜられたものでないことは原告の主張自体により明かである。由来営業の自由は基本的人権の一として法治国民各人に等しく保障せられているところであつて、原告が歯科技工師としての営業権と称するものも亦その謂に外ならず、原告は一般的に保障せられた営業選択の自由に基き、偶右営業に従事する国民の一人として本訴を提起しているものであつて、何等具体的に権利を侵害せられたものでないことも亦その主張自体により明白である。然りとすれば右の如き段階に於ては判断の対象となるべき法律上の争訟が発生する余地はなく、結局本訴は抽象的に歯科技工法の効力乃至解釈を争つているに過ぎないものであると云うに帰着するので、斯る訴は前叙の如く裁判所の権限に属しない事項を目的とし、訴訟要件を欠如する不適法な訴であると云はねばならぬ。

仍て本件訴を却下することゝし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 池畑祐治)

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